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【日本遺産】江戸の粋を感じる大山詣り〈たのしみと御利益を兼ねそなえた伊勢原・大山へ!〉

日本遺産を旅する 神奈川県 【伊勢原市】

 

■江戸時代から続く講の参拝を追体験する ― 山内に遺る講たちの軌跡―

講を迎える先導師と宿坊 その歴史と特別な関係

 大山詣りの参拝者の多くは「講」である。これは今で言うところの町内会や同業者組合のようなもので、皆で費用を積み立ててお参りツアーに出かける。その際の道案内をするのが「御師」と呼ばれる人々で、大山の場合は、神仏分離令を機に「先導師」という名称に変わった。

 御師の歴史は江戸時代初期、徳川家康が大山の山内改革を行い、修験者や結婚している僧侶を下山させたことから始まる。彼らは、山の中腹に坊を構え、関東一円の檀家を回ってお札を配るなどして布教活動を行った。その結果、各地で講が結成され、御師は彼らを自らの坊に泊めるようになった。これが「宿坊」の始まりであり、現在も大山中腹には、江戸時代より続く宿坊が数多く並んでいる。

 宿坊は阿夫利神社の御分霊を祀った神殿を持ち、講の行衣を管理したり食事の世話をする。宿坊内には板まねきや納め太刀などもあり、江戸や講の残り香を体感することができる。先導師の話を聞き、宿坊の雰囲気を味わってから大山へ登れば、先人たちの想いをより理解することができるだろう。また、近年の宿坊では、講だけでなく一般観光客への対応も進んでいる。食事内容や部屋の仕様、その他の設備やサービスまで、各宿坊ごとに異なる。


彫り物を見せ合った禊(みそぎ)の場 「浮世絵」にも描かれた滝に出会う

「大山良弁図」(五雲亭貞秀) 江戸の講を中心に、大山では神仏に祈願する前に身を清める「滝たき垢ご離り」が行われたが、それは講同士が互いの彫り物を見せ合い、粋を競う場でもあった。奉納する木太刀も描かれている。
浮世絵にも多く描かれている大山詣りの「滝垢離」。かつて、講たちが禊に訪れたこれらの滝は現在でも見ることができる。良弁滝。良弁僧正が最初に水行した滝とも言われる(写真:右)。愛宕滝。旧参道にある禊の滝の一つで、水量が豊富(写真:中央)。大滝。大山への参拝時、最初に出会うことができる滝である(写真:左)。


参道に遺された講の足跡を辿る

こま参道  大山ケーブル駅へと続く、362段の石段と踊り場を持つ“こま参道”。名物の豆腐料理やきゃらぶき、こんにゃくなどが食べられる店や日帰り入浴ができる旅館もあり、門前町ならではの情緒が楽しめる。“大山こま”も購入できる。  大山には参道も含め、信仰の歴史を感じさせる様々な石仏が遺る(写真・左上)。また、宿坊街では多くの石柱型の玉垣に出会える(写真・左下)。これらは講の奉納・寄進によるもので、講名が赤で彩色されている。当時、材料にはこの地域で採掘された日向石が主に使われた。

 


■御師(おし)から先導師(せんどうし)へ江戸から現代へ
先導師がもてなす宿坊で講の歴史と江戸の粋を感じる

講が参拝時に羽織る「行衣」を管理するのも宿坊(先導師)の役割(写真:右上)/大山名物の豆腐料理はほとんどの宿坊で味わえる。大豆の栽培がないこの地域で豆腐料理が名物となったのは、先導師への初穂や、講中が奉納した大豆のおかげ(写真:右中)/江戸から現在まで毎年、決まった講が訪れる宿坊も。檀家帳には多くの講名があり、その規模からも当時の賑わいが想像できる(写真:右下)/大山の宿坊は阿夫利神社の分霊を祀った神殿を持つ(写真:中央)/宿坊にある板まねき(写真:左上)/大山阿夫利神社下社へ向かう先導師と講の一団(写真:左下)
江戸時代に講が担いで参拝した長さ約2m・重さ約4kgの納め太刀

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  • 一個人編集部
  • 2018.02.24